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北条新九郎 (氏政長男) : ウィキペディア日本語版 | 北条新九郎 (氏政長男)[ほうじょう しんくろう]
北条 新九郎(ほうじょう しんくろう)は、戦国時代の後北条家の一族。北条氏政の子で、北条氏康の孫。武田信玄の外孫に当たる。 == 生涯 == 弘治元年(1555年)11月8日に北条氏政とその正室である黄梅院の長男として生まれた〔〔〔 笹本正治 著『武田信玄』ミネルヴァ書房、2005年、p.125〕。『勝山記』には「甲州晴信公御満足大慶此の事に候」とあり、長女の黄梅院が無事に子供を産んだ事、しかもその子が将来後北条家の跡取りとなり、武田家と北条家の友好が永続するであろう事を喜んだという〔。 弘治3年(1557年)11月19日、晴信は「晴信息女北条氏政妻、産に当たり平安に無病延命ならば、則ち来る歳戊午夏6月より長く船津の関鎖を抜くべし」と、富士浅間大菩薩に黄梅院の安産を願った(『冨士御室浅間神社文書』)。これは黄梅院の安産と無病で延命するようにとの願いをこめて、来年(永禄元年(1558年))から永く富士参詣の人々が通る船津(現在の山梨県南都留郡富士河口湖町)の関所を廃止するというものである〔 笹本正治 著『武田信玄』ミネルヴァ書房、2005年、p.126〕。 この新九郎はその後史料に登場しない上、晴信がこのような願文を提出している事から、夭折したものと推測されている〔黒田基樹『戦国北条氏五代』P166〕〔黒田基樹『戦国北条氏五代』P192〕〔。氏政の嫡男には永禄5年(1562年)に生まれた同母弟の新九郎が氏直として跡を継いだ。
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